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NY最後の夜、、。
2006/06/27

2001年、春。
Animal Assisted Therapyを勉強したい!!と退職しNYへ。
その学校がNYのどこにあるのかも、何という名前なのかも、そしてNY州がどんなに広いかも知らず、、。

ハーレムでアフリカ人のおっちゃんをルームメイトにゴキ、ねずみさん達ともルームシェアする勉強づけのサバイバルな日々、、。

週の食費$10と決め人の捨てようとするブロッコリーの芯をもらって料理していた日々、、、。

でも、ガムシャラにやりたいことをやらせてくれる、みっともなく、そしてかっこ悪く居させてくれるNYが好きだった。

あれから5年。私の生活もそしてNYを見る目も変わったなー。

フルタイムの仕事をし、定期収入を得て生活する日々、、。

保険がもらえて具合が悪くなったら病院に行けるという安心感、そして、おつりをチップにできる余裕のある日々、、。

そして、グリーンカードゲット。アメリカの住人と認めてもらえた日。

どっちも本当のNY。

こんな小さなマンハッタンという島だけど、ココじゃなきゃ味わえない空気が絶対ある。
そしてなんだか日々自然に背中を押されてる感覚。
「止まるなー、もっと行けるぞー、」みたいな。

この5年、ほんとあっという間だった。
息つく暇もなく突っ走った。
NY観光もできなかった、、、。

さよならという気はしないけど、また今度来る時はきっともう私の知らないNYになってるんだろうな。

さみしいけど、私もNYに負けないよう、今度はNYの力を借りず違う土地で何ができるか試してみるか。

また会う日まで。






最終日!!
2006/06/22

とうとう昨日で仕事終了。
忙しすぎもせず、まあまあの夜でした。

いろんな人にさよならををいったり、ハグしたりしてもまだいまいち実感がわかない。

みんなも
「香港やだったらいつでも帰っておいで」
「長いこと待ちすぎないほうがいいわよ。時間を無駄にしないで、3ヶ月でも6ヶ月でも、つまんなかったらすぐ帰ってらっしゃい」
「自分に主婦がむいてないと思ったら、すぐNY戻ってきて働きな」

などなど、あまり励ましの言葉ではないお言葉をたくさんいただきました。

そして、なんの縁なのか、私の最後の最後の時間に産まれたのは日本人の赤ちゃんでした。そしてその赤ちゃんの入院アセスメントなどを終え、帰ろうとしているところ、その子のお父さん(白人)が私を探しに新生児室へ、、。きっと誰かに日本人が働いてると聞いたのでしょう。
「うちの妻とちょっと話をしてやってくれませんか?」
もう勤務時間過ぎてるんだけど、、、と心のなかでつぶやくものの、
「わかった。帰りに病室によります」
と笑顔で答える私、、、。

行ってみると、お母さんはあまり英語が達者でない様子。でも、だんなさんも日本語はしゃべれない。いったいこの二人はどうやってコミュニケーションをとっているんだろう?と不思議に思いながら、お母さんの質問に一通り答え、安心していただいた。

ほんといろんな人生ドラマをココで見てきたなー、とあらためて思う。病院ってけっこう人の生活の中身まで見えるから、NYの住人の生活の中に入り込んで仕事をしたって感じ。

でも、もう終わり。ちょっと寂しいような、ほっとしたような。
これを種にして、また新しい人生楽しめたらいいな。






お別れ会
2006/06/16

来週の水曜日で退職。

なので、昨日の夜は職場のみんながさよならパーティーをしてくれました。

みんなで持ち寄った遅い食べきれないほどの夜ご飯と2種類の手作りケーキ。
ゆっくり色々はなしながら食べたかったのに、またまた久々の大忙し、、、。

新生児30人以上、、、。

なんてタイミングの悪い、、、。
ぜんぜんみんなで揃えなかった、、、。

「赤ちゃん達もパーティーに参加したいからどんどん出てくるんだよ」

なんてみんなは言ってたけど、、。忙しかったあー。

でも、やっぱり寂しい、、。つられてもらい泣きしそうになったけど、必死でこらえた。

家でカードを広げて読んでたらやっぱりうるっと来てしまった、、。まあ、2年弱だからね、、。情が移ってしまっているんだな、、。

いっぱい信じられないこととか、むかつくこととかあったけど、いざ終わりが近づくとほんと、いいことしか思い浮かばない。人間って便利にできてるなー、と感心してしまう。

遠くに引っ越しちゃうけど、なんとなくまたみんなと会えるような気がする。何の根拠もないけど、、。

絶対会いたい、、。帰ってこなきゃな。






たばこ
2006/06/07

最近気になるCMがある。

中年のおっさんがシャワーを浴びてるシーンで始まるんだけど、そのおっさんはのど元を手で押さえながらシャワーを浴びている。

シャワーを終えて出て来て手をどけるとそこには2センチぐらいの穴が開いている。そしてその穴の消毒を始める、、。

そしてナレーション
「私は39歳のときにタバコのせいで咽頭癌になり死に掛け、手術をしてのどに穴を開けました。この先こうやって生きなければいけません。私の人生は180度変わってしまいました。もうもとには戻れません、、。」

ロボットがしゃべるような言葉で、、。

空気が穴から漏れてしまうので、のどにマイクロフォンのようなものを当てその機械が振動を感知ししゃべる。

アメリカにはけっこうショッキングな禁煙のCMは多いがこれが今まで見た中で一番かも、、。

NYやLAなどの大都市では喫煙者はほんと人間のくず、アル中やDrug Addicと同じ扱いをされる、、。
職場の同僚に私もタバコを吸う事がばれたときには、みな哀れみの目をむけ
「あなたいい人なのに、、、。」
等と言われた。

これらの政府のキャンペーンのおかげかアメリカの喫煙率はどんどん下がってるらしい。でも、アメリカの大きなタバコ会社がつぶれないのは国外では相変わらずがんがん売ってるからなんだろうな、と思うとなんだか矛盾してるような、、、。






NICU
2006/06/05

昨日の夜はNICU(新生児集中治療室)で働いた。

私が働いた部屋には6人の小さな赤ちゃん達、、、ほんとに小さい、出生時体重1200gとかの未熟児ちゃん達がいました。

普段、20,30人の健康な新生児達の部屋で働いてるとただひたすらマシーンと化してオムツ変え、授乳に追われるけど、少人数だともっとゆっくり一人一人相手ができて仕事してるって気がする。
その代わり、それぞれの赤ちゃんがいろいろな問題を抱えてたり、その分ケアーにも倍以上の時間がかかるんだけどね。

その6人の赤ちゃんの中の2人は身体的な問題のほかに社会的な問題を抱えている。赤ちゃんというか、お母さんが、、、。

一人のお母さんは10代でホームレス、、、だから赤ちゃんの帰る家がない、、。
もう一人のお母さんはDrug addic、クリスタルメス、、。赤ちゃんもその薬の影響があり赤ちゃんなりの禁断症状がある。

赤ちゃんには何の罪もないから切なくなる、、、。
なにもしてあげられないけど、幸せな家庭が見つかることを祈るのみです。
そういうことを考えてると、たまに「MSW(メディカルソーシャルワーカー)になればよかった、、、」と最近思う。
でも、日本じゃ出番が少ないだろうな、、とも思う半面日本もアメリカみたいにこれからなっていくのかなと思うと怖い、、。






American Dream!!
2006/05/30

NYにはただで読める週刊の日本新聞がいくつかある。
この前それをふと見つけて読んでたら、なんと知ってる人が大きな顔写真つきで載ってるではないか!!

T君。4年ぐらい前に、日系のバーで働き出したときに同じ頃一緒に始めたいっこしたの男の子。
「俺は俳優になります。」

NYにはactor/dancer/artist wanna be(自称俳優、ダンサー、アーティスト)がはいて捨てるほどいる。

きっとそいつもその一人だと思ってた。でも、その子の自信というか、ナルシスト具合は只者ではなかった。
私は2年以上前に仕事を始めるためにそこを辞めたけど、その子はまだいた。

その記事では新人俳優として紹介されていた。
クリントン・イーストウッドプロデュースの映画に渡辺健とかと競演らしい。すごい、夢かなえた!!

他にもNYの最初の年に知り合った同い年、横浜出身のS君。建築関係の仕事をしてたけど、
「ブルックリンで自分でデザインしたJapaneseフュージョンのバー/レストランをオープンするのが夢」
去年ちょー久しぶりに電話があって、ついにオープンしたらしい。

夢破れて日本に帰るに帰れなくて落ちてゆく人達がいっぱいいるこのNYでそういう話を聞くたびに元気付けられる。

夢を持って、でも願うだけじゃなくて、一歩一歩努力していけば不可能なことは少ない。この世の中もAmerican Dream もまだ捨てたもんじゃないな、なーんて、思いました。














個人の権利
2006/05/24

お母さん達の病棟で2日間働きました。

受け持ちのお母さんの中の一人はHIVポジティブ。いっぱい薬を飲んでいて、もちろん赤ちゃんも産まれてすぐからAZTを飲み続けなければいけません。

NYではHIVポジティブのお母さんはめずらしくなく、皆さん子供を産みます。赤ちゃんも薬を飲み続ければAIDSは発症しないとのこと。母乳は禁だけど、、。
まあそれも何十年か後の発症率はまだ統計的にははっきり出てないんだろうけど。

でも、今回のケースは旦那さん/赤ちゃんのお父さんは彼女がHIVポジティブと言うことを知りません。ソーシャルワーカーはプライバシーの侵害になるからそれは彼女の判断で良いそう。
でも、同時に旦那さんにも自分の健康を守る権利はあるし、赤ちゃんの状態について知る権利もあると私は思う。

赤ちゃんにお薬をあげるたびに、旦那さんにばれないように、「これはビタミン剤です」とか嘘つかなきゃいけなかったりして、、。

NY以外のほかの州ではマリッジライセンスを取るときに、HIV,その他STDの診断書が必要な州も多いとか。

差別の問題とかにも発展しちゃうから、とても複雑なトピックなのかもしれないけど、HIVポジティブと言う事実をパートナーに隠すと言うことはもしかしたら殺人罪と同じ位の罪を犯しているとも考えられる気がするんだけど、、、。
うーん、難しい、、、。






仕事復帰!!
2006/05/19

3週間ぶりの仕事復帰。
今回は死ぬほど行きたくなかった、、。
でも、行くしかないから行ってみると、案の定、出産ラッシュ再び。妊婦さんたちはベッド待ち状態でした。

この2日間はかなり久しぶりに妊、産婦さんのフロアーで働きました。妊婦さんがかわるがわる陣痛起こし始めたり、盲腸の手術後の妊婦さんがイレウスを起こしたりと、走り回りっぱなしの2日間だったけど、新生児室で働くのとの大きな違いは患者さんとのコミュニケーション。

ありがとうと感謝されるだけでなく、来るの待ってたのよー、と言ってくれたり、受け持つことを喜んでもらえたり、、、赤ちゃんはそんな事言ってくれないからね。でも、しゃべれないからこそ、私がしっかり観察して異変を見逃さないように、といったやりがいはある。

患者さんとのコミュニケーションやダイレクトなフィードバックが私を看護婦さんになって良かったな、って思わせる事のひとつかも。

そんな事を考えると、私は公私共に、必要とされることで生きがいを感じてしまうのかも、、ってことに気がついた。
そんなことでしか生きがいを感じられないのはちょっと寂しいけど、まあ、しょうがない。それなりに人生楽しまねば。






フルハウス、、。
2006/04/24

久々の大忙し、、。
フルムーンなんだか判らないけど次々と赤ちゃんが産まれ続けてます。

Never stop..

お母さん達は病室待ちで廊下で寝ている状態。

夜6時45分から働き出して夜中の3時過ぎまで水一滴も飲めずトイレにも行けず走り回りました。

入院がたくさんだっただけでなく何人か調子の悪い赤ちゃんがいたり、従弟にレイプされてできた赤ちゃんがいたりしてソーシャルワーカーと連絡取り合わなきゃいけなかったり、、。

その赤ちゃんは里子に出されることになったけど、この世の中ほんと病んでるなあ、、と改めて感じさせらました。

そして待ちに待った朝の7時、帰る準備万端のところスーパーバイザーからの電話。

「Do you wanna stay?」(昼の12時まで働かない?)
「Hell No!!」(もちろん嫌です!!)

人が足りないのは判るけど、限度ってものがあるでしょ。
飲まず食わず12時間走り回って、もっと働けって?
無理です。

そのスーパーバイザーはいい人だったから逃れられたけど、ほとんどのスーパーバイザーは強制的に看護婦を残すよう命令します。そしたら悲しいことに私達はNOとは言えません。

有り得ない、、、。






enough!!
2006/04/22

働き出して約1年半、、、。
未だに驚かされる、というかあきれさせられることだ多々ある。

昨日新生児室でけっこう忙しく働いて、朝ぐったりしながらDay shiftの看護婦が来るのを待っていた。
Day shiftは朝7時から、私のシフトは朝7時15分まで、と15分間のオーバーラップがあってそこで申し送りをする。

7時。 誰も来ない、、、。
L&D(分娩室)から新しい赤ちゃんのリポート1。
7時15分 まだ誰も来ない、、、。
L&D(分娩室)から新しい赤ちゃんのリポート2。

たまりかねてフロアー(お母さん達の病棟)へ電話。うちの病棟はお母さん達と新生児混合。だから誰かが新生児室の担当になる。

フロアーでは誰が新生児室で今日働くかでもめている様子。
その時点で一緒に働いていたnight shiftの人たちは切れて帰ってしまった、、、。

一人残され、誰か来るのを待つ、、。さすがに赤ちゃん達を残して帰る勇気は私には無い。
次から次へと産まれたての赤ちゃんが運ばれてくる、、、
私のシフトはとっくに終わっているのに、、、。

結局7時40分にdayshiftが怒りながら来る、、。
「なんで私が来なきゃいけないのよ!!」と愚痴りながら、、。

仕事なんだからさー、、、好きとか嫌いじゃなくてしょうがないじゃん。でも、彼女達にとっては納得がいかないらしくしょっちゅう「私はそれは好きじゃないからやらない」と平気で口にするし、実際やらない。やらなきゃいけな状況になると、怒鳴りまくったり、どっかいっちゃったりする。

日本じゃ有り得ないそんな事があるたびにもうため息しか出ない。



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